式内社、村社
祭神 天饒日命
創立年代不詳
別名 意非の宮
社伝では、天饒日尊四世孫・天礪目命が大炊形部と称し、その子孫が祖神を祀った神社。
伝承によれば、武内宿禰が因幡國の守護となり下向の折り、一ノ宮谷(不香田)にあった当社境内で、
白羽の矢を持ち、「この矢の落ちる処に大炊の神を遷す」と矢を放ち、落ちた谷を矢落谷と名付け、
ここに社屋を建て、矢堂羅村とした。
元禄二年(1689)字宮ノ前に遷座、社殿再建。
明治七年(1874)社殿造替。
大鳥居

鳥居左後ろに立つのは日本一の大幟。平成元年十月八日に建立されたこの幟は、樹令百年
屋堂羅産の杉(高さ31m)を竿とし、幟がタテ26.8m、ヨコ1.8mの大きさ(畳30枚敷ける広さ)で、
揮毫は、幟が坂野重信前自治大臣(参議院議員)、掲揚台が西尾邑次鳥取県知事、記念碑は
竹本憲治若桜町長である。この幟は、同神社で終戦頃まで使われていた五反のぼりを
再建することになり、同地区の活性化を図ろうと作られた。
扁額
境内入り口


狛犬

境内

拝殿

本殿

社殿

境内からの眺め

川を挟んで向かい側に見える茅葺古民家は三百田氏住宅。
意非神社
鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅1
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